 ジョージ・ハリスンのギター [While My Guitar Gently Weeps]

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 ビートルズ世代ではないので「ホワイトアルバム」を聴いたのは解散した後になってからだ。ビートルズといえばレノン&マッカートニーの曲と決まっていた。たまにジョージやリンゴの曲が混じっていたりしたが邪魔ではなかった。そんなアルバムの中に「ホワイトアルバム」はあった。ビートルズが1968年に発表した、ジャケットが白一色のアルバムで正式名「The BEATLES」の通称だ。

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 「ホワイトアルバム」の中にもジョージの曲があった。ジョージの曲は1966年発表のアルバム「リボルバー」の頃から時々アルバムに2曲ほど収録されていた。「ホワイトアルバム」のジョージの曲は「ロング・ロング・ロング」と「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の2曲だ。ジョージの曲はインド楽器を使った独特の曲が多くレノン&マッカートニーの曲とは自ら差別化を狙っている様だった。「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」はインド色はないがジョージらしい大人しく弱々しいイメージでしかなかった。ジョージとリンゴは、もともとレノン&マッカートニーの影に隠れた存在だった。たまにボーカルの声を聴くと懐かしく思う程度でジョージはギターも地味で大人しい印象しかなかった。「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を聴いた時も相変わらずジョージらしい女々しいギターだと思った。※実際のところビートルズのインド行きも不仲になったメンバーをもとに戻そうとジョージが計画した旅行だった。結果的には上手くいかずに、その事を憂いて「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を書いた優しいジョージがいた。

 最近になってジョージ・ハリスンエリック・クラプトンが長い親交があった事を知った。年齢も同じくらいで同じ英国人のミュージシャンなら当然だろう。エリック・クラプトンといえば好きだったレッド・ツェッペリンジミー・ペイジジェフ・ベックと並んで3大ロック・ギタリストの一人だ。そう言う意味ではジョージを見直してはいた。何かの話題(・・・・・)の中でエリック・クラプトンジョージ・ハリスンについて調べていた時に「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のリードギターの演奏者がエリック・クラプトンだと知った。あの「レイラ」のエリック・クラプトンのギターだったのか。と急に評価が高くなった。

 ハリスンはエリック・クラプトンに「レコーディングに参加してギターソロを弾かないか?」と声をかけた。当初クラプトンは「僕がビートルズのセッションに参加するなんて恐れ多いことだ」と断っていたが、ハリスンは「これはビートルズの曲じゃなくて僕の曲だ。僕の曲の演奏を僕がやってくれって頼んでるんだから、気にしないでいいんだ」と説得した。 クラプトンは、「ルーシー」と名付けたギブソンレスポールでギターソロを演奏した。ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス - Wikipedia

 「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」は「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」のB面曲でもあり「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」と並んでジョージの代表曲のひとつとなった。この曲はイングランド北部のウォーリントンにあるジョージの母親の家で、中国の易経の書籍に触発されて書かれた。

僕は易経の写しを持っていた。中国にはすべてが必然であり、偶然というものは存在しないという考えがある。一方、西洋では偶然のことをまれにあるものだと考えられている。本を開いたときに見えたのが『gently weeps(そっと泣いている)』だった。僕は本を閉じて、曲を書き始めた」と語っている。ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス - Wikipedia

ジョージ・ハリスン 1943年2月25日-2001年11月29日 1988年にビートルズのメンバーとして、2004年に個人としてロックの殿堂入りしている。Rolling Stone誌は、彼を「史上最高のギタリスト100人」のリストで11位にランク付けした。

See you tomorrow!

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