 いつまでもこどものためのバイエル

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 「バイエル」といえばピアノの教則本であることくらいは知っている。興味もなかったので開いてみたこともない。ピアノの教則本が「バイエル」に決まっているのは何故だろうと疑問に思う。

 話は日本にはじめて教育に音楽が取り入れられた明治時代の事になる。明治政府は音楽教育の研究のため文部省に「音楽取調掛」という部署を作り、その担当に伊澤修二をおいた。この伊澤修二は東京大学から文部省に入る前の3年間アメリカに留学していた。このとき音楽教育家のルーサー・ホワイティング・メーソンに歌の教育を受けた。そして伊澤とメーソンは日本と西洋の音階の違いがあることに気づいた。西洋の音楽ではドレミファソラシの7音を使うが日本ではドレミソラの5音しか使っておらず、2音少なかった。メーソンは伊澤がファとシの音を習得できるように熱心に教え、そのおかげで伊澤は習得することが出来た。そして伊澤は日本に帰国後「音楽取調掛」の担当官になり、日本の音楽教育の方針についてアドバイスをもらうため恩師であるメーソンを日本へ招聘(しょうへい)した。伊澤とメーソンは西洋の民謡に日本語の歌詞をつけて歌えるようにした。唱歌はこのようにして誕生し、日本の音楽教育はこうして始まり伊澤はのちに東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の初代の校長になった。そしてメーソンが来日した時に持ち込んだ教材が「バイエル」だった。

 ピアノ教則本の名前にもなっているフェルディナント・バイエル(1806-1863)はドイツのクヴェーアフルトに生まれたピアニストだ。そのころのピアニストにはショパン(1810-1849)やリスト(1811-1886 )がおりバイエルはピアニストとしても活躍したが作曲家特に編曲家として認められた。そこで生まれたのが誰にでも弾きやすく編曲された教則本「バイエル」だった。

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 「バイエル」には子供用と大人用があり子供用には片手から始まる赤表紙の上巻と両手で弾く黄バイエルの下巻がある。上巻には1番から43番の練習曲が下巻には難易度の高い44番から106番の練習曲がそれぞれ収録されている。大人用は通常版のバイエルといわれ1番から106番の練習曲が1冊にまとめられている。※バイエルは1番から106番までの練習曲を3年程度かけて進めていくことが多い。バイエルが終わると多くの人が「ブルグミュラー」へと進む。

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「ブルグミュラー」もドイツ人の作曲家、フリードリヒ・ヨハン・フランツ・ブルクミュラーによるピアノ教則本である。25の練習曲からなる教則本で、バイエルが終わった人が挑戦するもの。「アラベスク」や「貴婦人の乗馬」など有名な曲もある。



「ブルグミュラー」に進めるように、しっかりとバイエルを練習していきましょう! ^^;
See you tomorrow!

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