 ふと人生の起承転結について考えてみた

あなたの人生の起承転結*1はどんなでしたか この歳になると そんなふうに他人から訊かれることがある。ごく普通に生きてきたのでドラマティックな出来事もなかったし不幸でもなかった。つまり自分の人生にはそういった「転」もなかったし未だ「結」も訪れてはいない。だけれども あえてそういった国語的な組立で人生を分割分類して振り返ってみるのも楽しいかも知れない。

「起」とは事実や出来事を述べるとあるとおり自分の置かれている事実 実態であるから 昭和の中頃に地方都市のサラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれ義務教育を終えた後は公立高校を卒業後に私立の大学を経て地方公務員となり1児を授かったということである。

「承」は「起」で述べたこと によって起こる問題点を述べたり感想 意見を述べたりするとある。地方公務員を選んだのは転勤がないためだった。定時で帰宅でき残業もなく土日祝日は必ず休みが取れて有給制度も整っている。 何といっても市役所は倒産することがなく解雇される心配もない。23歳で入所したら60歳(当時)の定年までは安泰な生活が保証されていた。

「転」とはWikiによると読み手を驚かす変化を入れることとし「転」の句は「承」のそれと表裏一体で別物であってはならず互いに応じ互いに避けるという一貫性がなければならないとある。転居であったり転職のことだろうか。入所後6年半で訳あって地方公務員を辞め金属加工の会社に入った。それまでの土木関係の仕事とは打って変わって機械・電気関係の仕事で仕事の内容もともかく民間の会社で働くのは学生時代のアルバイト以来で戸惑う毎日だった。休みや給与などの待遇はまったく変わった。住家も職場の隣になり近所との付き合いも変わり仕事上の繋がりも多岐にわたり拡がった。その間に2番目の子が生まれた。その後30余年代表取り締まり役として勤めた。

ここまで書いてみたが やっぱり何も無い人生だった。取り立てて自慢するようなこともなく平々凡々とした毎日の繰り返しだった。 そうして2度目の就職先もリタイアして自由になった。もしかして いま現在が「結」なのだろうか。まだ生活している間は終着点ではないし人生そのものが終わってしまった訳でもない。いまが本当の「転」という時期なのだろうか。

体力 知力の衰えはあるけれど平均寿命までには随分な時間がある。いままでは自身の家族単位でしか生きてこなかったが今では親とその家族と我が家そして子供とその家族 孫まで含めると1歳から90歳までの大きな家族になっている。同居している訳でもないけれど家族には違いない。親類のことまで考えるとその数は膨大で こころが行き届く範囲に収まりそうもない。どうやら まだまだ「転」の真っ最中のようだ。

なかなか暇がもらえそうにない。だから今のところ「結」は自分では書けそうもない。書ける時期は未定だし 来ないかも知れない 中途半端な物語になりそうだ。

See you tomorrow!

*1:頼山陽 (1780-1832) の作と伝えられる以下の俗謡も、起承転結の例として認知されている。
起: 大阪本町 糸屋の娘
承: 姉は十六 妹が十四
転: 諸国大名は 弓矢で殺す
結: 糸屋の娘は 目で殺す

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