iPhoneで星の王子さま(あのときの王子くん[青空文庫])を読んで
ある日このブログを読んだら星の王子さまを読みたくなった。
幼い頃に読んだか聴かせてもらった気はするのだけれど何故か全く思い出せない。星の王子さまは大ベストセラーで、たぶん世界中で知らない人はいない程有名。。。だと思う。なのでもう一度読んで内容を確認したかった。
さしあたって本をどうやって入手しようか。やっぱりKindle本(電子版)だなと検索するが落とせない、落とし方がいつもと違うのかiPhoneで落とせない。(※サイズが大きいためMacならダウンロード可能です:有料)
ならば青空文庫はどうかと探した所、有るにはあるが「あのときの王子くん」という名前で内藤濯氏翻訳の「星の王子さま」ではなく大久保ゆう氏の翻訳電子版だ。どういう事なのかWikipediaで調べると、日本語の翻訳本だけでも講談社、ポプラ社、新潮社など多数あることがわかった。「星の王子さま」は岩波書店だけのものではないのだ。どうやら2005年に岩波書店の翻訳出版権が消失したために新訳書が多く出版されたらしい。
青空文庫ならiPhoneで読めるのでよんでみた。結構な文の量なので一旦Evernoteに保存してVoicepaperで読み上げる事にした。冒頭の数ページを読んだだけで、どうやら初めて読む本らしいと思った。また今まで思い描いていた本とは全く違うものだった。単なるお伽話なのだと誤解していたがこの本には大人の行いを諭す力がある。冒頭の”レオン・ウェルトに”に書かれているように「おとなはだれでも、はじめ子どもだった。(しかしそのことを忘れずにいる大人はいくらもいない)このテーマが終始貫かれている。とくに途中で登場するキツネとの会話は心に響く。XHTMLファイル(無料)→※青空文庫 あのときの王子くん
キツネが王子くんに「名つけるとはきずなをつくる事」と言い「おいらにしてみりゃ、きみはほかのおとこの子10まんにんと、なんのかわりもない。きみがいなきゃダメだってこともない。きみだって、おいらがいなきゃダメだってことも、たぶんない。きみにしてみりゃ、おいらはほかのキツネ10まんびきと、なんのかわりもないから。でも、きみがおいらを名つけたら、おいらたちはおたがい、あいてにいてほしい、っておもうようになる。きみは、おいらにとって、せかいにひとりだけになる。おいらも、きみにとって、せかいで1ぴきだけになる……」と説明する。 また「おいらのまいにち、いつもおなじことのくりかえし。おいらはニワトリをおいかけ、ひとはおいらをおいかける。ニワトリはどれもみんなおんなじだし、ひとだってだれもみんなおんなじ。だから、おいら、ちょっとうんざりしてる。でも、きみがおいらを名つけるんなら、おいらのまいにちは、ひかりがあふれたみたいになる。おいらは、ある足音を、ほかのどんなやつとも聞きわけられるようになる。ほかの音ならおいら穴ぐらのなかにかくれるけど、きみの音だったら、はやされたみたいに、穴ぐらからとんででていく。」 「でも、きみのかみの毛って、こがね色。だから、小むぎばたけは、すっごくいいものにかわるんだ、きみがおいらを名つけたらだけど。 小むぎはこがね色だから、おいらはきみのことを思いだすよ。そうやって、おいらは小むぎにかこまれて、風の音をよく聞くようになる……」などとキツネの説得力には頭が下がる。また続いて 「ことばは、すれちがいのもとなんだ。でも、1日、1日、ちょっとずつそばにすわってもいいようになる……」とも言う。 そうして王子くんは花に「きみたちは、であったときのぼくのキツネとおんなじ。あの子は、ほかのキツネ10まんびきと、なんのかわりもなかった。でも、ぼくがあの子を友だちにしたから、もういまでは、あの子はせかいにただ1ぴきだけ。」と言って星に置いてきた王子くんの花との違いを諭すようにまでなる。 キツネが王子くんとの別れ際に「おいらのひみつだけど、すっごくかんたんなことなんだ。心でなくちゃ、よく見えない。もののなかみは、目では見えない、ってこと。」と秘密を教えると王子くんは「もののなかみは、目では見えない。」と理解するようにもなる。そしてキツネは王子くんにこうも言う「でも、きみはわすれちゃいけない。きみは、じぶんの名つけたものに、いつでもなにかをかえさなくちゃいけない。」と。
これは子供の絵本どころではない。もし理解出来る子供がいたら大人になっても忘れてはいけない。と忘れてしまった大人が今になって納得出来た本、星の王子さまの紹介でした。
久しぶりに良い本に出会えた。読んでみようと言う気持ちにしてくれたブログの筆者に感謝する。
See you tomorrow!