ECO

生きて来た年を重ねる度 その年齢を分母にして分子の一年を除するように今年というものが年々短くなって行くような気がする そしてそれに相反するように今年という年がとても長くてかけがえのない大切な一年であったような気もする また除された数が一年ならばそれらの数を足した数 つまりは余生も加速度的に短かいものになっていく
子供の頃は世界は広かった 当然活動範囲も狭いし人間関係にも制限があり知らない世界は自分のすぐ周りにあった つまり未知の世界が広かった 自分という存在がとても小さくてまわりの人や動物や花などと平等だった気がする 長いこと生きていろんな物や人場所を見て来たしこの先見ることが出来るであろう事柄にも限界も感じられるようになった
環境問題がよくとり上げられるが何のための環境保護かと考えた場合所詮人間のためであり極論自分自身の保身に過ぎないと思う 何事も自分あっての物種ですから 子孫のためとか人類のためとか大義名分をかざしたところが不可能なことばかりだし
今さらもう手遅れであることは明確である ならばこの先どうしたら良いか?まぁあんまり無理なコトをしようとせずに自分の健康を大切に他人に迷惑のかからない余生を過ごすのが一番エコノミーでエコロジーな生き方かもしれない
世間を騒がせている鹿児島阿久根市竹原信一氏のblogにも納得させられる記述は多い

さるさる日記ー住民至上主義
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/

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