 手段を目的化したい

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 手段の目的化、この言葉って好きだなぁ。人生の生き方そのものが問われているみたいで、目的のためではなくて手段を愉悦する生き方。手段の目的化の例えで、ホームセンターにお客さんが板に「穴」を開ける「ドリル」を求めて来たとします。そこで店員が簡単に「ドリル」を勧めてしまう事が手段の目的化なのだと言います。お客は「ドリル」を買いに来たわけでなく「穴」が欲しかったのだから店員は勝手にお客の目的を「穴」から「ドリル」にすり替えてしまったと言うのです。???「穴」が開けばいいわけですし、どこがいけないのか、よく分かりません。おっしゃるには「穴」を開ける手段は他にもあるし「穴」の開いた板を勧める事もできると言うのです。そうはいうけれど「ドリル」が手に入れば今回「穴」を開けた後も他にも「穴」が開けられるようになって良かったと思うのですが。理解に苦しみます。

 万年筆が好きです。ちょうど1年くらい前から、よく使うようになりました。それまではボールペンに拘っていた時期もありました。しかし万年筆を使うようになってからはボールペンは筆箱からなくなりました。万年筆は何のために必要かといえば文字を書くためです。せっかく万年筆で書くのなら書き心地の良いペンを使いたいです。しかし、この場合の目的は文字を書く事であって万年筆でなくても鉛筆でもボールペンでも、極端な話キーボードを使って書いても良い訳で敢えて万年筆の、それもお気に入りを使って書きたいと思うのは手段の目的化というのかなぁ。

 「穴」と「ドリル」にしたって、素晴らしく高性能な「ドリル」が手に入って設計どおりの完璧な「穴」がスムーズに開けられれば本人も気持ちが良いと思います。しあわせな気分が味わえます。また今後の制作意欲にも影響を良い方に与えてくれるでしょう。万年筆にしたってお気に入りの万年筆を使ったところで素晴らしいブログのアイデアが書ける訳でもないしサインの字が上手に書ける訳でもありません。ただ一文字一文字を書く時の気持ちの問題です。自分に相性の良い万年筆で書くとその行為が充実して、しあわせな気持ちになるのです。

 ビジネスや経営の世界では手段の目的化は御法度のようです。しかし仕事も、趣味にしたって究極の目的は成功であってそれによって得るしあわせだと思います。ならば成功を得るための手段がしあわせで、結果として得られる成功もしあわせなら一番良いんじゃぁないのかな。


 べつに新しい万年筆を買う口実を書いているわけではありません(^^ゞ
See you tomorrow!

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