 絵を描くということ  一房の葡萄

軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした 一房の葡萄 有島武郎

 私は2000年頃にはせっせと絵を描いていた。

透明水彩という天然な作業だ。水彩画とは子供の頃から親しんで来たあの水彩画だ。好きな絵の具を水で溶いて真っ白なキャンバスにカラーを落として行く。そんなある意味では人間の原点のような作業だ。

用意するのも絵の具と筆そして紙だけだ。私の場合は絵を描くことを生活の糧にしている訳ではないので心の糧とでも言うか、趣味だ。

 一房の葡萄」という 有島武郎の小説があって子供の頃読んだことがある。内容は少年が級友から絵の具を盗むことから始まる。その友達が持っていたあまりにも綺麗な絵の具が外国製のウィンザーニュートンだったらしい。

けれどもあの透きとおるような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せませんでした。一房の葡萄 有島武郎

 大人になった私は小説のようにはウィンザーニュートンを盗まないで自分で購入して絵を描いた。心の何処かに小説の中の一節が蘇った。

それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです 一房の葡萄 有島武郎

 実際その外国人の友達が持っていた絵の具は綺麗だったのだろう。

私が使っている絵の具は圧倒的に外国製が多く質も高いような気がする。

国産にもぺんてる・さくら・ホルベインと美しい絵の具はたくさんあるが、やはり外国製のウィンザーニュートンレンブラントシュミンケなどの絵の具には及ばない。

細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。真白い手の平に紫色の葡萄の粒が重って乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。 一房の葡萄 有島武郎

 この部分がすべてだろうなぁこの一冊は。

自分の絵の具箱を覗きながらふと思い出す「一房の葡萄」。

色の表現が素晴らしい、色そのもの情景が浮かんで来る。実際に絵がなくても表現できる感受性の豊かさを感じる。

秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。 一房の葡萄 有島武郎

絵の具を盗った少年と横浜の海岸の風景と西洋人(と思う)の若くて美しい先生の白い手、目の前に実際に演じられている舞台を観ているようだ。

See you tomorrow!

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