読みたい本があるけれどなかなか時間がとれずに読めないでいます。それでもついつい興味のある本が見つかると手を出すので未読のままの本が増えていわゆる積ん読状態になります。ほしくて買ったのだから片っ端から読みたいのだけれど時間にも余裕がありません。何か本を速読みする良い方法は無いものかと思っています。
一般人の本を読む速さは400~800文字/分だそうです。これが速読法を習得した人になると2,100文字/分にまで読書能力を上げられるそうです。以下のKindleの文章が2,037文字なのでだいたいこの長さを1分間で読むということです。ちなみにiPhoneの読み上げ機能で試してみると4倍速でも1分30秒かかりました。参考 Kindleの読み上げがiOS13でクールでセクシーになった - tomi_kun’s blog
父親はそれを、僕に見せた、わけではなかった。九歳の僕が勝手に見た。休日に自宅にいるときの父親は、いつも衣服のポケットに入れて持ち歩く物をすべて取り出し、自室のデスクの上にひとまとめに置いていた。手を触れることは許されなかったから、僕はときどきそれらを眺めた。バインダー式の小さな黒い表紙の手帳。ライター。煙草。ハンカチは二枚あった。リグレーのガムはダブル・ミントで、これもパッケージがいつもふたつあった。自分宛てにハワイやアメリカから届いた手紙の束。これには幅の広い輪ゴムがかけてあった。バンドエイド。ヴイックスも冬にはあった。三つに折りたたむと親指の先ほどの大きさになるルーペ。パーカー21という万年筆を最初に見たのは一九四八年のことだ。おそらくそれと揃いで買ったはずのペンシルとともに、デスクの上に出してある父親の持ち物のなかにあった。季節は五月の終わりだった。梅雨の始まりのような雨の降る日曜日の午後、僕は自宅にいた。晴れていれば、野外のどこかとんでもないところで、遊びに夢中になっていたはずだ。当時の僕は、戦争中にアメリカがしきりに空爆した東京を逃れて、祖父の家のあった岩国にいた。雨の日の日曜日の午後、所在なかった九歳の僕は父親の部屋に入り、デスクの上の物品を眺めた。パーカー21という万年筆は異彩を放っていた。ふた桁の数字がつくパーカーの万年筆は51が初代で、その普及品モデルが21だった。この21は世界じゅうですさまじく売れた。戦後の日本でGHQの現地雇いの職員をしていた父親にとっては、手に入れるのはたやすいことだったはずだ。ブルーブラックのインクを入れて、父親は常にパーカー21とペンシルを持ち歩いていた。必要だったからだろう。父親はなにかと言えば文字を書く人だった。かなり優秀なペンマンシップの、きれいな筆記体で書く英文に、パーカー21とブルーブラックのインクはこの上なく調和していた。略語の多い英文だった。たとえば岩国はIWKで横須賀はYSK、佐世保はSSBだったことを、いまでも僕は覚えている。ほどよい長さの、おなじくほどよい細さの、くすんだブルーの軸に、金属製のキャップのついた21だった。キャップをはずすとその軸の先端は尖っていた。軸ぜんたいの造形が、なんの無理もないままに、その尖ったペン先へと収斂している様子は、飽きることなく観察する幼い視線に、充分に耐えた。軸の先端がペン先の上へ、それに覆いかぶさるように、おなじかたちで重なっていたことから、そのペン先はhoodednibと呼ばれていた。軸の内部にはインクが満ちているから、キャップをはずしてペン先を軽く紙の上に当て、文字を書くように動かすなら、軸のなかのインクはペン先をへて紙の上へと誘導され、文字を書く指先の動きはそのままインクによって紙の上で文字になる、というような父親の説明によって、パーカー21のメカニズムを僕はただちに理解した。21を僕に見せて構造や機能を説明するだけではなく、父親は幼い僕に試し書きをさせてくれた。これは父親が僕にほどこした教育の一端だ。どこの家庭でもその子供は教育を受ける。どの教育も独特だ。僕が受けた教育は僕のアイデンティティであり、いまこうして振り返ってみると、受けた教育はどの部分もきわめて小説的であることに気づく。パーカー21の造形は、当時のアメリカですでに流行していた、宇宙ロケット風味の流線型だった。ペン先のほぼぜんたいが露出していたそれまでの万年筆の造形とは、一線が画された雰囲気を獲得していた。父親に許されて僕が試し書きをしたのは『ライフ』のような雑誌の余白か、あるいは、父親宛てに届いた手紙の、横長の封筒の裏だった。パーカー21の書きやすさに九歳の僕は驚嘆した。筆記体の英文字はことのほか書きやすかった。ブルーブラックという名のついた色のインクの入ったガラス瓶も父親は見せてくれた。書いた当座は深みのあるブルーだが、紙の上で酸化されることによって、その色は黒へと近づいていくことからブルーブラックと呼ばれている、ということだった。パーカー21は一九四八年から一九六五年まで製造されて一般に市販された。二十代になった僕が、買おうと思うなら簡単に買えたはずだが、僕は買わなかった。父親に見せてもらった九歳のとき、この万年筆を自分も欲しい、とは思わなかったことの、ごく当たり前の延長として、買わなかった。万年筆の必要もなかった。一九五六年からパーカー21はパーカー21スーパーという呼び名となり、この頃からキャップのクリップが矢羽根になった。この矢羽根のクリップのついたキャップだけを安くに手に入れ、ジャケットの胸ポケットに差して得意げに街を歩くのが、一九五〇年代後半の東京で、一年あるいは二年というごく短い期間、若い男性のあいだに流行したことがあった。ふた桁の数字をつけたパーカーの万年筆は51が最初で、発売されたのは一九四八年だったという。
読書能力を高めて読む速度を速くするには3つの方法があるといいます。一般的で誰でも行っている飛ばし読みとか斜め読みなどの①読み方を工夫する方法といま注目しているのは②右脳を活用する方法です。読書は本来 言語をつかさどる左脳でおこなうのが一般的ですが速読法では右脳で文字をイメージ化(映像化)して記憶させて読書をするそうです。文章に出てくる単語をイメージとして繋ぎあわせて読んでいくので処理能力は速いそうです。最後の方法には根性物語風に③眼筋を鍛えて目の動きを速くして読書能力を高める方法だそうです。何れにせよ速読法を身に付けるには本格的な訓練が必要なようです。手っ取り早く本を読むのに効率的な方法にながら読書もありますが本の内容に集中できず全く理解できないことがあります。飛ばし読みでもいいので実際に活字を目で追って読んだ方が理解できます。
速読法のスキルもない今のところは速読を意識しながらKindleの電子本を読み上げ機能の2倍速くらいで補助しながら読むのが精いっぱいかな と思っています。このままでは卓上に「速読の仕方」の類いの本が積まれる日も近い気がします。
See you tomorrow!